サンボ―プレイクック遺跡群
カンボジア中部の森に広がるサンボー・プレイ・クック遺跡群は、6〜7世紀の都イシャナボラの跡地です。当時、この地は「真臘」と呼ばれ、王宮、人口の溜め池、宗教的な祠堂などが残っており、当時2万の世帯が暮らしていただろうと考えられています。インド文化の影響を受けながらも、正方形・長方形・八角形といった独自の寺院建築が発展しました。これらの独特な建築群は高く評価され、2017年7月8日にユネスコ世界遺産に登録されています。
遺跡は大きく北(N)、中央(C)、南(S)の3つのグループに分かれており、それぞれに特徴があります。
1)Nグループ(サンポーグループ)
Nグループ(北)及びサンポーグループはレンガ造りの祠堂は54基もありましたが、現在まで残っているのは16基であり、他に跡だけです。形としては他のグループとあまり変わらず正方形、長方形、八角形の祠堂があります。しかしNグループは八角形の祠堂は一基だけであり、各祠堂の装飾はあまり変わらず「空中宮殿(フライング・パレス)」、宮殿を支えるように、羽のついた馬やライオン、ガルーダの彫刻が施されており、当時の高い芸術性を感じることができます。

N7祠堂では、馬の頭を持つヴィシュヌ神が祀られていたと考えられています。1891年にこの遺跡を訪れたフランス人のアデマール・ルクレールは、崩れた台座の近くからヴィシュヌ神像を発見し、その後フランスの博物館に展示されたと伝えられています。






Sグループ「プラサット・イェイ・ポアン」
Sグループの祠堂は全て35基もありますが、その中で一番需要な祠堂は真ん中にあり、(Çrīprahasiteçvaraḥというほほ笑みのシバ神が祭った場所です。真ん中の祠堂の他にサンボープレイクック遺跡群で一番美しい煉瓦造りの八角形の祠堂が6基あり、城壁の外にラテライト造りの祠堂も6基あります。
- 時代:7世紀頃
- 建設した王:イーシャーナヴァルマン1世(616-638年)
- 建築様式:サンボープレイクック様式
S-2祠堂
ちょうどS-1祠堂の真正面には、小さな正方形の祠堂があります。その内部には将棋の台座のようなものが見えますが、これはもともとシヴァ神の乗り物であるナンディン(聖なる牛)を安置するための場所とされています。祠堂は四本の柱で支えられており、それぞれに精緻な装飾が施されています。
特に魅力的なのは彫刻された男性の顔で、どこか外国人を思わせる高い鼻立ちに、天然パーマのような髪、そして豊かなあごひげが特徴的です。これらの表現は、インドの4世紀から6世紀頃の様式に類似していると考えられています。

Cグループ遺跡から南の方へ約900メートル進んでいくと、観光客が滅多に行かない遺跡が見えてくる。そこはプラサットコックトロンと言い、胸を叩くという意味です。フランス人の研究者であるHenri Parmentier 氏はW祠堂と決めています。祠堂がレンガ造りで、入口は他の遺跡と同じように東にあり、その他に飾りの扉が付いています。航空写真で土かレンガかラテライトの城壁で囲まれていたことは確認できますが、今は盛り土のような跡だけ残っています。城壁の跡は東西180メートル、南北120メートルであり、そしてNグループの遺跡と同じようにお濠の跡も確認できます。城壁の内外に一つずつ溜め池があります。
当時の建築家が祠堂の中に神様へ崇拝する場所を正方形のように設置し、壁の内側に天井の跡のように見えていますが、昔布を張って神様の上から守っていただろうと言われてます。しかし記録が残っていないため、どんな神様を祀ったか、分かってません。構造か形で他のサンボ―プレイクック遺跡群と同じように、6世紀、7世紀に造れただろうと考えられています。

Sグループの真ん中にあるS2祠堂です。






